山龍ブログ - 誰にも文句言わせへんで!コラム

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  • 山龍
    Kimono Master 山龍

    1963年

    和装の刺繍工芸を扱う家に生まれる。子供の頃から、日常生活に着物があるライフスタイルの中で育つ。

    1987年

    アメリカンフットボールを核とした、怒濤の青春を経て、24歳で和装の染織原材料メーカー『箔蔵』を、染色の町・室町に立ち上げる。「でも、材料を売ってるだけじゃおもろないんよ」ということで、メーカーから委託を受ける形で、まずは振り袖から着物作りの仕事を始める。その仕事が引く手あまたとなり、あっという間に、振り袖のパンフレット掲載180着の内120着が、箔蔵制作のものとなる。

    「いきなりあちこちから接待の嵐で、ばからしなって、2年でやめたわ」留め袖の制作に切り替えるが、これも1年でやめる。「テスタロッサで営業に回っていたら、この生意気なクソガキ、なめとんとちゃうか! ってことで、1か月で仕事が来んようになった」

    1991年

    金箔、銀箔などの需要の多い、帯を中心とした織物の町・西陣に本拠地を移す。ここでも、染めや刺繍などの加工まで一貫して請け負うようになる。28歳〜29歳の頃に、すでに和装の素材から製造までプロデュースする仕事をするようになるが、着物作りで毎日顔を合わせる職人が、いずれも高齢なので、この業界の限界を痛切に感じる。

    毎年幕張で開催されるテキスタイル展にブースを出し、金銀糸のテキスタイルを展示。同世代のいる世界に惹かれ、和装業界からの撤退を決意。

    たまたま参加した、日経新聞主催の経済セミナーで、大阪の大手呉服小売店の社長と出会い、またまた和装の業界に引き戻される。普通、呉服業界は、メーカー、産地問屋、京都の総合問屋、地方の問屋などを経由して小売屋に入るところを、『箔蔵』が作り、ダイレクトに小売店に卸すことで、いいものを安くという戦略が大成功を収める。「うちとその小売り店が組めば、業界の古い体質を変えられると信じとった」

    1999年

    作り手『箔蔵』の理論:“いいもんを売りたい”と、小売店の理論:“売れるもんがいいもん”の間に溝が生じ、大手小売店と袂を分かち、自ら着物の制作・販売を始める。小売店の屋号を『上品屋(じょうぼんや)』とする。製造の中でも染めと織り、販売など全てが細分化されている業界の中で、唯一全体を見渡せる存在として、呉服業界の改革を目指す。また、『山石会』という勉強会をスタートさせ、「和」のライフスタイルをクリエイトする、「Kimono Master」としての活動を開始。若手の育成も始める。

    2005年

    東京、ニューヨークに店を出すというビジョンのもと、まずはそのウオーミングアップのため、東京・麻布に『上品屋サロン』をオープン。業界ただ一人、染め、織りの全てに精通したプロデューサーとして、新しい着物作りと、着物を中心としたライフスタイルの提案に力を注ぐ。その作品は高い評価を得、総理大臣賞受賞6回、通産大臣賞受賞に至っては10数回に及ぶ。また、美智子皇后陛下のお召しになった『京鹿の子絞り』の着物や帯なども高い評価を得る。今後は、140業種あると言われる、和装に関わる伝統工芸の技術を守るために、染織文化事業団を立ち上げ、2010年を目標に、京都に染織専門学校を開校予定。