山龍ブログ - 誰にも文句言わせへんで!コラム

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  • 今年のアベノミクス2018
    それでは、この消費のみで投資のない単純な経済ではなく、海外部門と資本ストックが
    存在する より一般的な経済を想定します
    前記の実例とは異なり、「海外からの借り入れ」と「財政赤字がなければ存在したはずの
    資本ストックの食い潰し」という二つの経路によって、負担を将来世代に転嫁することが
    可能になります

    これまでと同様に、大砲や弾薬を製造する戦時費用がすべて赤字国債で賄われたとします
    かしここでは、その国債が、国内ではなく海外で消化されると仮定します

    日露戦争(1904-1905)当時の日本は、欧米列強諸国と比較すれば未だ経済的にきわめて
    弱小であり、その戦費のすべてを自ら賄うことは到底不可能でした
    そこで日本は、戦費調達のために、戦時外債の公募を行います
    その時に、国の存亡をかけて海外の投資家たちと決死の交渉を行ったのが、当時は
    日銀副総裁であった高橋是清でした

    このように、海外部門が存在する経済では、国内の資金によってではなく国外の資金に
    よって債務を賄うことが可能になります
    そしてその場合には、国民全体の消費を削減して大砲や弾薬を製造するのではなく
    その海外資金によって大砲、弾薬、消費財などを輸入することが可能になります
    その時、海外の人々は、外債購入のためにその分だけ支出を削減することになるため
    経常収支と金融収支は黒字化します
    逆に、対外債務によって大砲、弾薬、消費財などを輸入した国の経常収支と金融収支は
    必ずその分だけ赤字になります

    つまり、戦時費用が対外債務によって賄われる場合には、現世代は消費の削減という形での
    負担を免れることができるのです
    しかし、その対外債務は、将来のある時点で必ず返済しなければなりません
    その債務の償還は増税によって行われることになるのですから、将来世代全体の
    可処分所得は必ずその分だけ減少します
    このようにして、財政の負担は現世代から将来世代に転嫁されるのです

    次に、海外部門は存在しないが、資本ストックが存在し、したがって消費だけではなく
    投資が行われる経済を考えます
    既述のように、消費のみの経済では、将来の大砲や弾薬や消費財をタイムマシーンで
    現在に持ってくることはできませんから、財政負担の将来転嫁は不可能です
    しかし、資本ストックが存在する経済は、「資本ストックの食い潰し」という方法によって
    将来の財を擬似的に現在に持ってくることが可能となります

    一般に、われわれの所得は常に消費あるいは投資のいずれかに支出されます
    消費はわれわれに効用をもたらしますが、投資は効用を直ちにはもたらしません
    しかし、投資は資本ストックとして蓄積され、将来の生産と所得および将来の消費を
    もたらします。したがって、消費と投資との間の選択は、現在の消費と将来の消費
    あるいは現在の効用と将来の効用の間の選択と考えることができます

    ここで、戦時費用がすべて赤字国債で賄われ、その国債がすべて国内で消化されるとします
    そして、国債購入者たちがすべて、自らの消費ではなく投資を削減してその資金を捻出した
    と仮定します
    これは要するに、国債が発行された分だけ民間投資がクラウド・アウトされたことを意味
    します。その場合には、現世代の消費が削減されることはありませんが、その代わりに
    財政赤字がなければ存在したはずの資本ストックが食い潰され、将来世代の生産と消費
    がその分だけ削減されることになります
    前述した、「ある世代がのちの世代に負担を転嫁できる主な方法は、その国の資本財の
    ストックをそのときに使ってしまうか、または資本ストックに通常の投資付加分を加える
    ことを怠るのかのいずれかである」という『経済学』(599頁)の命題は、そのことを
    意味しています

    以上にみたように、赤字国債の発行が対外債務の増加あるいは民間投資のクラウド・アウト
    をもたらした場合、財政負担が確かに現在から将来に転嫁されたことを意味します
    1980年前半にアメリカのロナルド・レーガン政権は、レーガノミクスの名の下に大規模な
    所得減税政策を行い、結果として財政赤字が急拡大しましたが、その時には確かにこの両者
    が同時に生じたのです

    「政府債務はどこまで将来世代の負担なのか」を考え論じたように、赤字国債の発行が
    このような対外債務増加や民間投資のクラウド・アウトに結びつくのは、主に完全雇用経済
    においてです
    つまり、不完全雇用経済ではこのような経路を通じた将来負担は生じにくく、不完全雇用
    経済では、国債発行による政府支出の増加によって所得それ自体が拡大するため、貯蓄も
    同時に拡大し、結果として対外債務や民間投資のクラウド・アウトが完全雇用時よりも
    抑制されるからです

    では、ある経済が完全雇用かそうでないかは、何をもって判断すべきなのか
    それは一般的にはインフレ率や失業率ですが、単に負担転嫁の度合いを判断するだけ
    という場合には、金利だけ見ればいいのです
    というのは、対外債務の増加や民間投資のクラウド・アウトは、通常は赤字国債の発行に
    よって生じる国内金利の上昇という経路から生じるからです

    仮に完全雇用であったとしても、金利が上昇していないのであれば、負担転嫁も存在して
    いないと判断することができます
    たとえば、人々が現在の増税を赤字財政による将来の増税と同一視するという意味での
    「リカーディアン」である場合には、政府支出を増税で賄おうが国債で賄おうが人々の
    貯蓄・支出行動は変わらないため、完全雇用でも不完全雇用でも、赤字財政ゆえに金利上昇
    が生じるということはありません
    したがって、赤字財政による将来負担もまた存在しないのです

    もう一つの典型的なケースは、不完全雇用であり、かつ「流動性の罠」に陥っているような
    経済です。この流動性の罠においては、需要不足によって金利がその下限に貼り付いた
    状態にあるために、赤字国債の発行によって総需要が拡大しても、金利の上昇は生じません
    それは、国債発行による対外債務増加や民間投資のクラウド・アウトがほとんど生じて
    おらず、赤字財政による将来負担もまた生じていないことを意味します
    この四半世紀にわたる日本経済は、まさにそのような状況にあったと考えられます

    現実にはむしろ、その間の日本の赤字財政は、それが行われなかった場合と比較すれば
    将来世代の負担を減少させていた可能性さえあるということです
    逆にいえば、もしこの赤字財政がなければ、日本の若い世代の負担はより増えていたのです
    というのは、それが「C+l+G表の均衡交点を完全雇用の方向に近づける実行可能な方法が
    何もないときに負債を負うことは、実際には、さもなければ生じたであろう以上の資本形成
    や消費をそのとき現実に誘発する度合に応じ、すぐさきの将来にたいする負担を逆に
    減らすことになる!」という、『経済学』第19章における引用部分の意味することだからです

    既述のように、赤字財政が将来世代負担を生むのは、それが民間投資のクラウド・アウト
    をもたらし、将来の所得と消費を減少させるからです
    しかし、不況下で行われる政府の赤字財政支出は、民間投資をクラウド・アウトする
    どころか、所得や雇用の増加や、いわゆる「投資の呼び水効果」を通じて、それが行われ
    なかった場合よりも民間投資を拡大させる可能性があります
    将来の所得と消費はそれによって減少するのではなく拡大しますから、将来の負担は
    増えるのではなくむしろ減ることになります
    これこそまさに「赤字財政のパラドクス」です

    この赤字財政のパラドクスはまた、「不況下の増税は、現在の所得だけでなく将来の所得
    をも縮小させる」ことを示唆します
    それが将来の所得を縮小させるのは、不況下の増税は民間投資を拡大させるよりは縮小
    させるからです
    増税が将来所得を拡大させるとすれば、それは金利低下による民間投資の拡大を通じて
    ですが、金利がもともと低い不況期、とりわけ金利がその下限に貼り付いた流動性の罠に
    おいては、そのようなメカニズムは働きません

    増税の負担は、現世代に対しては、その所得の減少という形で、まさに直接的に及びます
    それに関して、これを読んでる方は「赤字財政負担の将来転嫁はないというのであれば
    増税をいつ行っても同じではないか」という疑問を持つ向きがあるかもしれません
    それは、実はその通りです(笑)
    しかし、それはまた、「増税によって需要が減少して所得が減少する」という、幅広く
    危惧されている事態と矛盾するものではありません

    たとえば、日本がその債務残高を減らすために、国民所得と同額の増税を行って、その
    すべてを国債の償還に当てることにしたとします
    その場合でも、国債の償還を受けた人々がそのすべてを支出に回せば問題は生じません
    仮に所得がゼロでも預金を取り崩して支出を行う人々が存在するのであれば、償還された
    国債分がすべて支出される必要もなく、それらの支出によって国民所得が維持される限り
    この世代全体にとっての「負担」はどこにも生じてないのです

    しかし、国債の償還を受けた人々がその多くを支出に回す保証はまったくなく、むしろ
    このような大増税が一挙に行われれば、日本経済全体ではたいへんな需要減が生じ
    不可避的に未曾有の大不況が発生することになろうことは子供でもわかります
    その結果として人々の所得が減少すれば、それこそがまさにその世代にとっての「負担」
    なのです

    その実例は、近年では欧州債務危機以降のギリシャです
    そこでのギリシャの苦難とは、もっぱら急激な緊縮財政による失業の増加と所得の減少
    によるものであって、過去の赤字財政による「負担」ではまったくありません
    実際、ドイツその他のEU諸国から緊縮財政を押し付けられることなく、これまで通りの
    雇用と所得さえ維持されていれば、ギリシャ経済もあれほど悲惨なことにはならな
    かったはずです

    このギリシャ経済の現実はまさに、増税と緊縮財政による「負担」がいかなる経済的災禍
    として現れるかを如実に示しています
    同じことは、日本の1997年消費増税以降に生み出された、現在ロスジェネと呼ばれている
    世代の人々についてもいえます
    同時に、それ以降に生じていた日本の財政赤字は、彼らロスジェネ層が、失業率が50%
    以上にも達した債務危機後のギリシャやスペインの若者たちと同様な経済的境遇に
    陥るのをかろうじて防いだと評価することもできるのです
    財務省の欺瞞に満ちたトリックによって「財政赤字(借金)は悪」と吹聴されてきましたが
    財政赤字が防いできた経済破綻もあるのです




    | author : 山龍 | 12:02 AM |
  • 今年のアベノミクス2018
    「政府債務は必ず将来世代にとっての負担となる」という、財務省が御用学者を使って
    推し進めてきた理論が、経済学的には誤りであることは、最も幅広く読まれてきた経済学の
    教科書にさえ銘記されていることを確認してきました
    にもかかわらず、そのような政府債務の将来世代負担論は、政策論議の中で現在でも公然
    と主張されています

    ここからは更に進んで、赤字財政政策はむしろ状況によっては将来負担を減少させる
    場合さえあること、そして赤字財政政策の負担と呼べるものが現実にあるとすれば
    それは政府債務それ自体というよりは、それを縮小しようとして行われる不適切な
    緊縮政策によるものであることを明らかしていきましょう

    多くの人々は、赤字財政政策はむしろ将来負担を減少させるという主張を聞けば
    財政政策万能論者の政治的プロパガンダだという印象を持つかもしれませんが
    その主張には経済学的な根拠を持っているのです
    それを確かめるために、ここでは再び、『サムエルソン経済学』の第19章「財政政策と
    インフレーションを伴わぬ完全雇用」を見てみます



    将来の展望としては、われわれは、 (1)完全雇用の時期に生じ、 そして政府資本形成を
    作り出すことなく、 (2)民間投資の抑制(連邦準備政策かまたはインフレーションそれ自体
    によりを不可避にするような公債の増加こそが、現実に「負担」(将来の資本および産出高
    が、さもない場合よりは少なくなること)を意味する、ということができる。他方、その
    ほかにはC+l+G表の均衡交点を完全雇用の方向に近づける実行可能な方法が何もない
    ときに負債を負うことは、実際には、さもなければ生じたであろう以上の資本形成や消費を
    そのとき現実に誘発する度合に応じ、すぐさきの将来にたいする負担を逆に減らすこと
    になる!(第13章の「節倹のパラドクス」を想起すれば、社会的に節倹度を下げることが
    ときには資本形成を減らすよりもふやすこととなりうるのである。)(『経済学』600頁)




    この説明には二つの重要な命題が含まれています。その第一は、「赤字財政政策が将来負担
    をもたらすとすれば、それは完全雇用時に行われ、かつそれが民間投資のクラウド・アウト
    をもたらす場合に限られる」ということです
    その第二は、「不完全雇用時に行われる赤字財政政策は、場合にはよっては、それが行われ
    なかった場合よりも将来負担を減らす可能性がある」です
    つまり、赤字財政政策がもたらす「負担」は、完全雇用時と不完全雇用時ではまったく
    逆転することを意味し、この引用文に指摘されているように、そのことは、しばしば不況
    克服のためと称して行われる不況期の節約が不況をさらに悪化させるという、いわゆる
    「節約のパラドクス」に対応しているもので、以下では、その経済学的な意味を考えてみましょう

    完全雇用時に行われる「民間投資を抑制する」ような赤字財政政策が、将来負担をもたらす
    ことについて述べてきました
    それは、「赤字財政であっても、それを賄うために発行された赤字国債が国内で消化され
    かつそれが民間投資のクラウド・アウトをもたらさない場合には、将来世代の負担には
    ならない」ことを意味すると
    以下では、「すべての負債が過去の戦争のおかげで生じた」という『経済学』第19章付論の
    設定を踏襲して、なぜそうなのかを考えてみます

    戦争には大砲や弾薬が必要ですが、それは通常、増税か国債かのいずれかによって
    賄われます。ここで、その費用がすべて税金ではなく赤字国債で賄われたとします
    問題は、その国債発行が将来世代にとっての負担になるのか否かです
    その結論は、「そのための国債が国内で消化され、かつ民間投資のクラウド・アウトを
    もたらさない場合には、将来世代の負担にはならない」となります

    その結論を確認するために、資本ストックがまったく存在せず(したがって投資が存在
    せず)、人々はその時々の所得のすべてを消費にあてているような経済を考えます
    それはいわば、狩猟採集によって成り立っているような経済のことです
    この消費だけで投資のない経済においては、大砲や弾薬の生産にどれだけ多くの人力が
    投じられたとしても、それが将来世代の負担にはつながらないのは子供でもわかります
    将来世代ももちろん、大砲や弾薬を生産することはできますが、それをタイムマシーンで
    現在に持ってくることはできません
    したがって、この場合には結局、大砲や弾薬を生産する負担は、すべて現世代がその消費
    の削減という形で負うことになります
    というのは、大砲や弾薬の生産に人力が投じられれば、消費財の生産はその分だけ削減
    される以外にないからです

    その費用を増税で賄うのか国債で賄うのかは、その負担を現世代の中でどのように分かち
    合うのかという問題にすぎません
    それが増税で賄われた場合には、税金によって可処分所得を減らした納税者全体が、消費の
    削減によってその費用を負担することになります
    それに対して、それが赤字国債によって賄われた場合には、自発的に消費を削減して
    赤字国債を購入した人々がその費用を負担することになります

    この赤字国債はもちろん、将来の増税によって償還されていきますが、将来世代の生産や
    所得は国債残高とは無関係ですから、アバ・ラーナーが言うように、「もしわれわれの
    子供たちや孫たちが政府債務の返済をしなければならないとしても、その支払いを受ける
    のは子供たちや孫たちであって、彼らをすべてひとまとまりにして考えた場合には
    より豊かになっているわけでも貧しくなっているわけでもない」のです
    実際、仮にすべての人々が国債を均等に保有しているとすれば、たとえば「一人の国民が
    保有する国債額に等しい人頭税を課す」というように同額の増税によってそれを一挙に
    償還しても、国民が全員一致でその国債を廃棄することに決めたとしても、結果はまったく
    同じです

    ただし、「財政の負担はすべて将来世代ではなく現世代が負う」というこの強い結論は
    「海外部門も資本ストックも存在しない」という特殊な前提から導き出されており
    決して一般的に真であるわけではありません
    常に真であるのは、将来世代の負担がどうであれ、「政府の支出によって消費を減らさなけ
    ればならない人々が存在するのであれば、それは明らかにその世代の人々にとっての
    負担となっている」という事実です
    その意味で、財政の負担は多くの場合、将来世代よりもむしろ現世代が負っていると
    考えることが経済理論に合致します

    続く



    | author : 山龍 | 12:00 AM |
  • 今年のアベノミクス2018
    この最初の命題を論証するために、『経済学』第19章の付論では、「負担ゼロの極端な場合」
    という、以下のような設例が提示されています



    いまかりにすべての負債が過去の戦争のおかげで生じたとしよう。さて、その戦争は
    終わった。そこで、かりにすべての家族が(1)理想的な、そして何の偏りもない租税制度
    のもとで平等に負担を分け合うとし、(2)公債も均等に保有しているとし、(3)誰もが
    (あるいは個人として、または一体化した家族として)永久に生きるとする。だとすれば、
    外国に対する負債がない場合、われわれはそれこそ「皆で自分に借金している」状態に
    あるといってよい。

    上の前提のもとでは、この種の債券はわれわれの背中にのせられた岩のようなものでは
    ないことがはっきりしている。債券の紙の重さほども負担とはならないだろう。
    もしもわれわれが全員一致でその債券を廃棄することに決めたとしても、そこには何の
    相違も生じないであろう。(616頁)




    付論ではこれに引き続き、今度は逆に公債が資本ストックの減少を通じて将来世代に
    負担をもたらしているようなケースが例示され、「内国債である限り将来負担は生じない」
    という主張が一般的に真ではないことが説明されています

    『経済学』ではこのように、赤字財政の負担は確かに将来世代に転嫁されている可能性は
    あるものの、それは多くの人々が信じこまされているような「国民ひとりひとりが
    背負わなければならない岩」のようなものでは決してないことが明確に説明されています
    そのことは、「将来世代全体の消費可能性はその所得によって決まるのであり、それぞれが
    それぞれに対して持つ債権債務によるのではない」という自明な事実からも明らかです

    このような経済学的知見からすれば、その大部分が内国債によって賄われ続けてきた
    日本の財政赤字が本当に将来世代の負担となっているのかどうかについては、慎重な
    吟味が必要だったはずです
    しかし、上記「建議」の中に、そのような視点を見出すことはできません
    その述べるところはむしろ、上の「背中の岩」説にきわめて近く、経済論理に立脚して
    いない政治的内容と取れます

    『経済学』が指摘するように、「政府債務=背中の岩」説は、経済学的には単なる謬論に
    すぎませんから、仮にそれが政策論議の中で公言されたとすれば、それはもっぱら政治的
    プロパガンダとしてのみ取り扱われるべきものです
    しかし、滑稽なことに、日本の経済論壇においてはむしろ、そのような議論こそが
    「将来までをも見据えた真摯な政策論」として持ち上げられがちなのです
    日本の経済学会がガラパゴス状態で、世界に誰も認められず(浜田参与はノーベルの
    推薦を得けました)、結果、日本中を不幸にしている典型的な事例でしょう

    『経済学』第19章では、人々が政府債務の「負担」をかくも過大視してしまう傾向に
    関して、歴史家マコーレイによる1世紀以上も前の論述を引用しています



    その負債がふえていく各段階ごとに、国民は相も変わらぬ苦悩と絶望の叫びをあげた。
    その負債がふえていく各段階ごとに、賢者たちは破産と破局が目前に来ていると本気に
    なって主張した。しかも、負債はふえる一方で、にもかかわらず破産や破局の徴候は
    いっこうに見受けられなかった。...



    災厄の予言者たちは二重の幻想を抱いていた。彼らはある個人が他の個人に負債を
    負っている場合と社会がみずからの一部にたいして負債を負っている場合とのあいだに
    完全な類似があると錯覚したのである。...彼らはさらに、実験科学のあらゆる面で
    たゆまない進歩が見られ、誰もが人生で前進の努力を不断に行うことの結果得られる
    効果を考慮に入れなかった。彼らは負債がふえるという点だけを見、他の事がらも同じく
    増加し成長したことを忘れたのである。(606頁)



    『経済学』第19章では、この引用に続いて、アメリカの公債残高の国民総生産に対する
    比率が戦後から1970年代まで一貫して減少し続けてきたことが指摘され、それはもっぱら
    インフレーションと経済成長との相乗効果によるものであることが明らかにされてます
    そして実は、このことこそがまさに、日本の財政にとっての真の課題なのです
    日本の財政状況が「悪化」したのは事実にしても、その原因は人々の放蕩ではなく
    「デフレーションと低成長との相乗効果」以外ではあり得なかったからです

    財務省や財務省の財政審、自民党の税調など、恥を知りなさい
    こんな、半世紀以上も前の経済学者にもバカにされている自覚を持ちなさい
    東大学派のカビの生えた理論に癖癖した有望な若手経済学者は、日本の学界を見放し
    どんどん海外へ出て行っています



    若手経済学者、海外に活路 企業のデータ分析で高報酬
    2018/12/23日本経済新聞
    経済学で海外に活躍の場を求める日本人の若手研究者が増えている。博士号などを持つ人の就職先をたどると、2000年代以降、海外組が国内を上回るようになった。米国で経済学者をデータ分析などで生かすIT(情報技術)企業が増え、これを背景とする人材争奪などで大学の報酬も手厚くなっているためだ。海外で培った若手学者の知見を日本経済に役立てることができるかが課題になりそうだ。
    大阪大学の安田洋祐准教授は、海外の有力学術誌での論文掲載など明確な活動実績が確認できた日本人経済学者について、現在の所属大学を国内外別に集計した。
    学部の卒年がわかる306人のうち、1990年代の卒業者で海外の大学などに職を得た人は33人、国内は70人だった。一方、2000年代卒では国内34人に対し、海外は57人と就業先の海外・国内が逆転した。
    若手研究者が海外志向を高める背景には報酬など待遇の違いがある。東京大学の教授の平均給与は17年度で約1200万円。学部ごとの差は小さいとされ「経済学部の給与も同程度だ」(東大の松島斉教授)という。
    これに対し、公立の米カリフォルニア大学バークレー校では経済学部教員の17年の平均給与は教授で約35万ドル(約3900万円)。東大の3倍超だ。中には58万ドルを得た准教授もおり、業績や能力次第で昇給余地が大きいのも特徴だ。
    米国だけでなくアジアでも日本を上回る例はある。17年に一橋大から香港科技大に移った川口康平助教授は「香港の給与は日本の2倍。シンガポールはさらに高い」と話す。優秀な人材の集積と良好な研究環境が魅力だという。
    米国などで大学の給与が上がっている背景の一つは、IT大手を中心に民間企業に「経済のプロ」を求める動きが広がっていることだ。
    米スタンフォード大学のスーザン・エイシー教授らは、米経済学会が運営する博士号取得者向け採用データベースで企業の求人動向を調べた。14年に15社だったIT業種の求人が、17年には21社に増えた。研究部門ではなく、事業に直接関わる部門での採用が大半だったという。米アマゾン・ドット・コムやウーバー・テクノロジーズも今月求人を掲載している。
    IT企業が経済学者を採るのは、膨大な消費者データの分析を期待しているためだ。アマゾンのチーフエコノミストで米ワシントン大教授でもあるパット・バジャリ氏は、ビッグデータを使った売り上げ予測の研究に従事。ウーバーは英オックスフォード大のロバート・ハーン客員教授らと共に、価格変更がタクシーの利用者数に与える影響を分析した。
    デジタル経済の進化で経済学者への引き合いが強まった分野はほかにもある。米グーグルの検索連動広告の広告主と出稿先をつなぐオークション開発に貢献したのは、チーフエコノミストのハル・バリアン氏だ。こうした開発は経済学者が得意とする「マーケットデザイン(市場設計)」と呼ぶ理論を応用した。
    日本でも企業のデータ分析の分野で経済学者が活躍する例は出始めている。JR東日本ウォータービジネス(東京・品川)は駅構内に設けた自販機のデータを、香港科技大の川口氏や米エール大の上武康亮准教授らと解析した。ただ日本では、まだ大学の経済学者の報酬を押し上げるほどには至っていない。
    海外で若手経済学者が培った知見が日本に還流されれば、日本経済の競争力を高める大きな下地になりうる。こうした流れをつくり出すことが課題になりそうだ。(久保田昌幸)


    | author : 山龍 | 12:00 AM |
  • 今年のアベノミクス2018
    世代重複モデル的に考えた場合には、増税の時期を早めれば早めるほど、年長の世代が
    生涯において負う税負担が増え、より若い世代が負う税負担減ります
    とはいえ、この点だけを根拠に増税を早期に行うとすれば、それはおそらく将来の
    日本経済に大きな禍根を残すことになります

    ラーナーの議論の最も重要なポイントは、「将来の世代の経済厚生にとって重要なのは、
    将来において十分な生産と所得が存在することであり、政府債務の多寡ではない」という
    点にあります
    仮に早期の増税によってより若い世代が負う税負担が多少減ったとしても、それによって
    生産と所得それ自体が減ってしまっては、まったく本末転倒です
    そして、「失われた20年」とも言われるバブル崩壊後の日本経済においては、まさしく
    その本末転倒が生じてきたのです

    日本経済の長期デフレ化をもたらした一つの大きな契機は、橋本龍太郎政権が行った
    1997年の消費税増税でした
    そして、それ以降の長期デフレ不況の中で最も痛めつけられてきたのは、ロスト・ジェネ
    レーションとも呼ばれている、その当時の若年層でした
    そのツケはきわめて大きく、それは単に彼ら世代の勤労意欲や技能形成の毀損には
    留まらず、日本の少子化といった問題にまで及んでいます

    結果としては、この早まった消費税増税は、若い世代の所得稼得能力を将来にわたって
    阻害しただけでなく、デフレ不況の長期化による政府財政の悪化をもたらし、将来世代が
    負うことになる税負担をより一層増やしてしまったのです
    つまり、「将来世代の負担軽減」を旗印に行われた消費税増税は、皮肉にも彼ら世代に
    対して、所得稼得能力の毀損と税負担の増加という二重の負担を押し付けるものと
    なってしまったのです

    この1990年代後半以降の日本経済は、恒常的なデフレと高失業の状態にありました
    つまり、一貫して不完全雇用の状態にあったということです
    そして、小渕恵三政権時のような大規模な赤字財政政策が実行された時期においてさえ
    国債金利はきわめて低く保たれ、大きな経常収支黒字が維持され続けてきました
    これは、赤字財政による将来世代への負担転嫁は存在しないというラーナー命題が
    ほぼ字義通りに当てはまっていたことを意味しています

    それとは逆に、日本で行われた不況下の増税は、若い世代が将来的に負う負担を減らす
    のではなく、むしろそれを増やしてきました
    それは、不況下の増税がとりわけ若い世代の雇用と所得に大きな影響を及ぼすもので
    ある以上、まったく当然のことであり、経済が不完全雇用である限り、職からはじき
    出されがちな若い世代の雇用の確保の方が、彼らへの多少の税負担軽減よりもはるかに
    優先度が高いということになるのです

    経済学者たちがこれまでその問題をどう論じてきたかを確認してみます
    一口に経済学者といっても、その政策的な立場は千差万別です(そもそも「建議」の
    執筆者のほとんども経済学者(?)です(笑))
    そこでここでは、より簡易な手法として、長きにわたって幅広く受け入れられてきた
    経済学の教科書で、この赤字財政の負担問題がどのように論じられていたのかを確認
    することを通じて、この問題に関する「経済学的知見」を確かめてみます

    『サムエルソン経済学』を見てみます
    これは、Paul A. Samuelson, Economics, 10th edition の邦訳で、Samuelsonの Economics
    は、1948年に初版が発刊されて以来、2009年に発刊された第19版(William D. Nordhaus
    による改訂版)に至るまで、各国各世代の経済学初学者に読み継がれてきた、経済学の最も
    代表的な教科書です
    それは、41ヶ国語に翻訳され、合計で400万部以上を販売するなど、何十年にもわたり
    ベストセラーとして経済学教科書の世界に君臨してきたものです

    この本が赤字財政の負担転嫁問題を論じているのは、第19章「財政政策とインフレー
    ションを伴わぬ完全雇用」の第2節「公債と近代の財政政策」および付論「公債の負担—
    その虚偽と真実」です
    それはまず、以下のように、「素人の接近方法」によってこの問題を扱うことに対する
    危うさの指摘から始まります



    公債に関連して生ずる負担を評価するさい、われわれは、小さな一商人の負債について
    真であることが何でも必然的に政府の負債についても真であるなどとあらかじめ決めて
    かかってしまう非科学的な方法は、これを慎重に避ける必要がある。問題をこのように
    予断してしまうことは、論理学上の合成の誤謬を犯すのにも等しい。公債の真の--そして
    現実には否定すべくもない--負債を分離して理解させてくれるものではなく、かえって
    問題点を混乱させるだけに終わるかもしれないのである。

    近代経済学者は、公債の真の負担という点に関心を寄せ、素人の接近方法とは著しく異なる
    かたちでこの問題を診断するのである。(598-599頁)



    『経済学』はこのように、政府の債務を個人や家計の債務と同様なものと考えてはならない
    ことを指摘したのち、負担問題に関する結論を以下のように提示してます



    ある世代がのちの世代に負担を転嫁できる主な方法は、その国の資本財のストックを
    そのときに使ってしまうか、または資本ストックに通常の投資付加分を加えることを
    怠るのかのいずれかである。(599頁)




    この命題の意味は、章末の「要約」で、以下のようにより詳しく解説されています



    公債は、あたかも市民のひとりひとりが背中に岩を背負わなければならぬような形で
    国民に負担を負わせるものではない。われわれが現在資本形成削減の策を選び後世に
    それだけ少ない資本財を残すことになるかぎり、われわれは後世の人たちに与えられた
    生産可能性に直接影響を及ぼすことになる。われわれがなんらかの一時的な消費目的の
    ために外国から借金をし、その外債にたいし後世の人たちが利子や元金を支払わなければ
    ならぬような約束をするかぎり、われわれは後世に正味の負担をかけるわけで、その負担分
    は後世の人たちがそのときに生産できるもののなかからの控除を意味するだろう。
    われわれがのちの世代の手にいずれにせよわたるであろう資本ストックにはなんの変更も
    加えないで彼らに内国債を残す限り、国内ではさまざまの移転効果が生じうるわけで、
    そのときになって生産される財の中から社会のある集団が他の集団の犠牲において
    余計の分け前を受け取るということになる。(612-613頁)




    この説明は、二つの命題に分けて考えることができ、その一つは、「公債は、国内で消化
    され、かつそれが一国の将来の生産=消費可能性に影響を与えるものではない場合
    国内的な所得移転は生じさせるものの、将来世代の負担にはならない」です
    先程登場した初期ケインジアンを代表する経済学者の一人であったアバ・ラーナーと
    同じことを述べています
    そしてもう一つは、その対偶命題であり、「公債は、国外で消化される場合、あるいは
    資本ストックを減少させて一国の将来の生産=消費可能性を縮小させる場合には
    将来世代の負担になる」です



    続く




    | author : 山龍 | 12:00 AM |
  • 今年のアベノミクス2018
    政府が財政支出を行い、それを税ではなく赤字国債の発行で賄うとします
    つまり、政府が債務を持つとします
    そして、政府はその債務を、将来のある時点に、税によって返済するとします

    このような単純な想定で考えた場合、増税が先延ばしされればされるほど、財政支出から
    便益を受ける世代と、それを税で負担する世代が引き離されてしまうことになります
    これが、通説的な意味での「政府債務の将来世代負担」です

    経済をモデル化する一つの枠組みに、若年と老年といった年齢層が異なる複数の世代が
    各時点で重複して存在しているという「世代重複モデル」と呼ばれるものがあります
    政府債務の将来世代負担論は、この枠組みを用いるのが最も考えやすいので、仮に老年世代
    の寿命が尽きたあとに増税が行われるとすれば、彼らは税という「負担」をまったく負う
    ことなく、財政支出の便益だけを享受できることになります
    そして、その税負担はすべてそれ以降の若年世代が負うことになります
    つまり、世代重複モデル的に考えた場合には、増税が先になればなるほど「現在および
    将来の若い世代」の負担が増えます
    それは要するに、老年の残り寿命が若年のそれよりも短いからです
    老年は、その残り寿命が短ければ短いほど、自らは税負担を免れ、それをより若い世代に
    押し付ける可能性が強まります
    その意味で、この政府債務の将来世代負担論は、「老年世代の食い逃げ」論とも言い換える
    ことができます

    こうした通説的な政府債務の将来世代負担論に対しては、経済学では大変よく知れた
    反論が存在しています
    初期ケインジアンを代表する経済学者の一人のアバ・ラーナーによる、「政府債務将来世代
    負担への否定論」で、経済学部へ行った方なら知っているはずです
    このラーナーの議論の結論は、「国債が海外において消化される場合には、その負担は
    将来世代に転嫁されるが、国債が国内で消化される場合には、負担の将来世代への転嫁は
    存在しない」というものでした
    ラーナーによれば、租税の徴収と国債の償還が一国内で完結している場合には、それは単に
    「国内での所得移転にすぎない」と言っています
    ラーナーはそれについて、以下のように述べています


    もしわれわれの子供たちや孫たちが政府債務の返済をしなければならないとしても、
    その支払いを受けるのは子供たちや孫たちであって、それ以外の誰でもない。
    彼らをすべてひとまとまりにして考えた場合には、彼らは国債の償還によってより豊かに
    なっているわけでもなければ、債務の支払いによってより貧しくなっているわけでもない
    のである



    このラーナーの議論には、いくつか注意すべきポイントがあります
    第一に、ここで言われている「将来世代」は、世代重複モデル的な把握ではなく
    将来のある時点に存在する人々を老若含めてひとまとまりにしたものとして考えられて
    いますから、「1950年生まれ世代」とか「2000年生まれ世代」という区分ではなく
    「1950年に生存していた世代」とか「2000年に生存していた世代」といったような
    世代区分が想定されています
    第二に、ラーナーの議論における「負担」は、単に税負担を意味するのではなく
    「国民全体の消費可能性の減少」として考えられています
    ラーナーは、赤字財政政策の結果としての「負担」は、上の意味での将来世代の経済厚生
    あるいは消費可能性が全体として低下した場合においてのみ生じると考えています
    そこでの焦点は、将来世代の所得や支出が現世代の選択によって低下させられているのか
    否かということです

    たとえば、戦争の費用を国債発行で賄い、その国債をすべて自国民が購入したとします
    その場合、現世代の国民は国債購入のために自らの支出を切り詰めるという「負担」を
    既に被っているので、将来世代の国民が支出を切り詰める必要はありません
    将来世代は単に、戦費負担を一時的に引き受けてくれた国債保有者への見返りとして
    増税による国債償還という形で、より大きな所得の分け前を提供すればよいのです
    それは、純粋に国内的な所得分配問題と言いきれます

    それに対して、戦費が外債の発行によって賄われる場合には、現世代は戦争だからといって
    支出を切り詰める必要はありません
    戦争のための支出は、現世代の国民の耐乏によってではなく、その時代の他国民の耐乏に
    よって実現されているからです
    ただし、将来世代はその見返りとして、増税によって自らの支出を切り詰めて他国民に
    債務を返済する必要があります

    つまり、将来世代の消費可能性は、現世代が国債を購入してその支出を自ら負担するのか
    国債を購入せずに海外からの借り入れに頼るのかによって異なると言うことです
    前者の場合には将来世代の負担は発生せず、後者の場合にはそれが発生します
    これが、ラーナーが明らかにした「負担」問題の本質です

    このラーナーの議論は、政府債務負担問題についてのありがちな誤解を払拭する上では
    大きな意義を持っています
    人々はしばしば、赤字財政によって生じる政府債務に関して、家計が持つ債務と同じように
    「将来の可処分所得がその分だけ減ってしまう」かのように考えがちだからです
    それは、財政赤字が外債によって賄われている場合にはその通りですが、自国の国債に
    よって賄われている場合にはそうではありません

    というのは、人々の消費可能性は常にその時点での生産と所得のみによって制約されて
    いるのであり、政府債務や税負担の大きさとは基本的に無関係です
    政府債務がどれだけ大きくても、それが国内で完結している限り、必ずそれと同じだけの
    債権保有者が存在しますから、その債務は一国全体ではすべてネットアウトされてます

    他方で、このラーナーの議論には、一つの大きな問題点があり、「赤字国債の発行が
    将来時点における一国の消費可能性そのものを縮小させる」可能性を十分に考慮して
    いない点です

    一般には、政府がその支出を赤字国債の発行によって賄えば、資本市場が逼迫して金利が
    上昇するか、対外借り入れが増加して経常収支赤字が拡大するか、あるいはその両方が
    生じます
    1980年前半にレーガン政権は、レーガノミクスの名の下に大規模な所得減税政策を
    行いましたが、その時に生じたのが、この金利上昇と経常収支赤字の拡大でした
    金利の上昇とは民間投資がクラウドアウトされたことを意味し、それは一国の将来の
    生産可能性が縮小したことを意味しますから、一国の将来の消費可能性はその分だけ
    縮小します。また、外債に関する上の議論から明らかなように、一国の対外借り入れの
    増加とは、将来世代の負担そのものであす

    ただし、赤字国債の発行が民間投資減少や経常収支赤字拡大をもたらすその程度は
    経済が完全雇用にあるか不完全雇用にあるかで大きく異なります
    所得の拡大余地が存在しない完全雇用経済では、国債発行によって政府が民間需要を
    奪えば、それは即座に民間投資のクラウドアウトや海外からの借り入れ増加につながり
    しかし、ケインズ的な財政乗数モデル(45度線モデル)が示すように、不完全雇用経済
    では、国債発行による政府支出の増加によって所得それ自体が拡大するため、貯蓄も同時
    に拡大します
    その結果、金利上昇や経常収支赤字拡大は完全雇用時よりも抑制されます

    つまり、赤字財政政策による「将来世代の負担」の程度は、不完全雇用時は完全雇用時より
    も小さくなるのです
    その意味で、「赤字国債発行による将来世代への負担転嫁は存在しない」というラーナー
    命題がより高い妥当性を持つのは、財政赤字拡大がそれほど大きな投資減少や対外借り
    入れ拡大に結びつかないような不完全雇用経済において適正なのです

    以上の議論を踏まえた上で、早期増税の必要性を「若年世代の負担の軽減」に求める議論が
    現状の日本経済においてどれだけ妥当性を持つかを考えてみます

    続く





    | author : 山龍 | 12:00 AM |
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