山龍ブログ - 誰にも文句言わせへんで!コラム

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  • 時事
    下記は読売新聞のコラムです

    多くの大物財務省OBの天下りを受けている読売らしいコラムです
    読売は「退官後、1年以上経っているので天下りではない」と言っていますが…(笑)
    そんな道理は一般には通じませんし、天下りの人選は明らかに異常です
    元事務次官がバーッと並ぶという、とても報道機関と思えない人選です
    世界中、どれだけ探しても国家の財務当局のトップだった人間を受け入れている報道機関
    はありませんでしょうし、下記の文を読めばわかりますが、恣意的に歪めた文章を書く
    報道機関もないでしょう

    『財務官僚・香川俊介追悼文集 「正義とユーモア」』という本で、財務省の太鼓持ちの
    出版社から発売され、関係機関に無理やり割り振られた本(無論、購入資金は税金です)
    ですが、古本として流通していますから、古本屋へ行くか、各自治体の大きな図書館へ
    行けば置いてあるはずです
    一般の国民が読めばビックリすることがたくさん書かれています
    財務省は‟本気で“「消費税増税死ねければハイパーインフレになる」と、脳の構造を開いて
    見てみたいようなことを真剣に信じている集団です
    狂気が国の財務を担うという異常な状況を脱するために、早く財務省を解体せねば
    なりません
    学があるだけでバカの集まりなんですから(笑)




    享年58歳、命削り働く…元財務官僚の「遺言」
    読売新聞経済部 小林泰明
     病魔に襲われ、最後は車椅子で仕事をやり遂げた香川俊介・元財務次官が世を去ってから、この8月で3年が 経(た) った。懐の深い人柄と広い人脈で、「不世出の財務官僚」と評された香川。生きていれば、相次ぐ不祥事で信用を失った古巣をどう 叱咤(しった) 激励したのか。その生きざまから「遺言」を探った。(敬称略)
    逃げない姿勢

     首都近郊の広大な霊園。3年前の2015年7月まで次官を務め、1か月後の8月9日、58歳でこの世を去った香川が眠る。この8月に訪れると、その早過ぎる死を惜しむように、花やカップ酒が供えられていた。
     逃げない姿勢。約36年にわたった官僚人生で香川が貫いたものだ。仕事で対立関係にあった人さえ、その気骨を認める。
     小泉内閣当時、香川は公共事業担当の主計官として、大幅な予算カットを巡り、自民党の族議員らと激しく対峙(たいじ)した。反対陣営のドン、古賀誠(自民党元幹事長)は香川の追悼文集「正義とユーモア」に一文を寄せている。「『のめないことはのめない』とはっきり言い切った」「“国家に対する忠誠と奉仕”の気概に燃えた官僚の鑑(かがみ)のような人だった」
     財務省のライバル、経済産業省も舌を巻いた。香川と東大で同級生だった高原一郎(元資源エネルギー庁長官)は、「『政VS官』、『財務省VS官邸』。彼は世間で言われる対立の構図を超越した存在だった。人間的な懐の深さがあったから、それができたんだろう」。
     政治家の扱いでは手だれがそろう財務省内でも抜きんでていた。当時、主計局で香川と机を並べていた同期の木下康司(元財務次官)は、「彼は真正面から歳出改革の必要性を説き、政策の上では対立しながら、政治家の信頼を失うことはなかった。これは誰も真似(まね)できなかった」と話す。
     小沢一郎、菅義偉、野田佳彦……。その「人間力」は多くの大物政治家も惹(ひ)きつけた。「香川が来たから仕方がないという相手が本当に多かった」。先輩の津田広喜(元財務次官)の弁だ。
    「一体改革」の絶頂
     霞が関の官僚は、時の政治情勢に左右される。それは香川でも例外ではなく、喜びの絶頂と失意のどん底を味わった。
     社会保障制度の持続可能性を確保するため、消費税率を5%から10%に段階的に引き上げる方針を決めた12年の「社会保障・税一体改革」。当時、国会対応にあたる官房長だった香川は、政権与党だった民主党と野党の自民、公明の3党合意の調整に奔走した。その働きぶりから、「香川国対委員長」とさえ呼ばれた。
     もっとも、首相の野田佳彦に早期解散を迫る野党・自民党との交渉は一筋縄ではいかなかった。与党・民主党内部にも軋(きし)みが生まれ、空中分解の危機が何度も訪れた。
     切れかかりそうになる糸をなんとかつなぎ留めようとする毎日。進まない交渉にいら立ち、焦燥感に駆られることもあった。香川の友人の神蔵孝之(松下政経塾副理事長)は、「深夜、いくつもの根回しを終えた彼から電話がかかってきて、『腹立ってこのままでは寝られない。30分だけ飲もう』。そんなことが頻繁にあった」と語る。
     「だめかもしれない」。現在の財務次官、岡本薫明も当時、珍しく漏らした香川の弱音を聞いている。
     民主、自民、公明の歴史的な3党合意を経て、財務省が総力を挙げた一体改革の関連法が成立したのは12年8月。しかし、大仕事を終えた香川を待っていたのは病魔だった。
     法案成立後、香川とコンビを組んでいた当時の次官、勝栄二郎の前に香川が現れた。「健康診断で引っかかった。再検査だが、食道がんらしい」――。そう告げた香川は珍しく動揺していた、と勝は追悼文に記している。当時首相だった野田は一体改革での香川の活躍を「私は政治生命を懸け、香川は命を削った」と評する。
    消費増税延期で失意
     香川が半年以上にわたる病院暮らしから脱し、職場復帰したのは13年4月。その2か月後に主計局長に昇格したが、自民党が政権を奪回したことで、民主党と蜜月を築いた財務省の存在感は低下していた。
     そんな情勢の中、香川が再び命を削るように持ち前の「気骨」で周りを驚かせたのは、財務次官に上り詰めた後の2014年秋ごろだ。当時、安倍内閣は消費増税の延期に向け、動き始めていた。
     香川の同期で日本銀行の理事に転じていた桑原茂裕はその頃、東京・日本橋のカレー店で香川と昼食をともにしたことを覚えている。「彼が紙を持っているので、『何それ』と聞いたら、『(消費増税延期反対の)アジビラだ』という。彼はそれをもって、1人でいろんなところに根回ししている、と言っていた」。香川は、政権の意向に反し、消費増税を予定通り実施するように、独自で根回しを進めていたのだ。「そこまでやるのか」。桑原は驚嘆した。
     香川の「レジスタンス」は、当然、官房長官、菅義偉の耳にも入る。官邸に呼び、増税延期を言い渡した。その時の様子を菅は追悼文集に記している。
     「香川はつらかっただろうけど、『長官、決まったことには必ず従います。これまでもそうしてきました。ですが、決まるまではやらせてください』と言っていました。(中略)香川の責任感にはすさまじいものがありました」。「いつも『捨て身』で向かってくる香川は手強(てごわ)かったです」ともつづっている。
     香川のがんは、2015年春に再発、退官間際は移動を車いすに頼らざるを得なくなった。
    「政と官」の理想
     「政と官」のあるべき姿を香川はどう考えていたのか。「本音」を知る手がかりが1995年、香川が38歳で英国の政策研究機関「英国王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)」に出向した際に著した論文に残されている。
     論文の題名は「政治家と官僚―日英比較研究―」。長時間の閣僚出席を強いられる国会審議や、年功序列の官僚人事など「日本型・政官システム」に対し、鋭い批判を加えている。
     目を引くのが、(1)大臣任期(最低2年間)ルール化による大臣の質の向上(2)官僚と政治家の接触禁止による「政と官」の役割分担の明確化(3)選挙費用の大幅引き下げなどによる政治家への立候補促進(4)官僚の年功序列の緩和による競争導入――などの提言だ。
     大臣の任期を長くすることで、官僚と渡り合える政治家を増やし、真の政治主導を実現する。官僚が政治家に接触できないようにし、自ら政策を立案できる政治家を増やす一方、官僚が中立性を保てるようにする。
     財務官僚として政治性を帯びた役回りを演じながら、その実、香川が最も望んでいたのは、優れた政治家による真の「政治主導」だったのである。
     
    大蔵官僚らしくない
     「大蔵官僚らしくなかった」。故人を偲(しの)ぶとき、皆こう口をそろえた。仕事に文字通り、命を懸けた香川だが、気さくな人柄で、多くの人と分け隔てなく交わった。
     香川と「B級グルメ」を食べ歩く会を20年以上続けたという中臣敬治郎(元都市再生機構理事)はこう振り返る。「普通は昇進すると付き合いが限定されるが、香川さんは違った。官房長や財務次官になっても、付き合い方が変わらなかった」。中臣は香川より13歳年上だが、「親しみやすく、年の差を感じることはなかった」。
     石黒憲彦(元経済産業審議官)は「あらゆるところに人脈があり、日本のネットワークの中心にいる感じだった」と話す。
     ある国会議員は追悼文集にこんな言葉を寄せていた。「こんなパッとしない政治家と濃密に付き合ってくれてありがとう」
     15年9月の香川のお別れの会。会場となった青山葬儀所には入場を待つ人で長蛇の列ができ、場外まであふれた。
     「私が仕事で失敗し、有力な国会の先生に謝りに行かなければならない時に、病み上がりの君に頼んで一緒に来てもらったこともあった。多くの政治家の方や経済界の方などから深い信頼を得ていた君に、私はずっと憧れていた」
     発起人として香川の遺影に語りかけた入省同期の田中一穂(元財務次官)の言葉に会場は涙に包まれた。
     香川はなぜ、社会保障制度の再構築と財政再建にその身を捧(ささ)げたのか。
     「彼の考えはいつも普通の人の世界に立脚していた。父を早くに亡くし、独りで残された母の年金が破綻するような事態にはしたくない。そういう現場感覚が原動力になっていたのではないか」
     友人の神蔵孝之はこう推察する。
     公文書改ざん、セクハラ問題――。香川の死後、わずか3年で財務省の威信、信頼は地に落ちた。時の政権にたとえ疎まれようとも、「将来世代のための消費増税」を説いた香川。「嫌われる勇気」を持てず、ついには官僚の基本ルールまで踏み外した財務省。香川が生きざまで示した「遺言」に、今こそ財務省は耳を傾けるべきではないか。






    | author : 山龍 | 12:00 AM |